海外で歴史のあるブランドといえば、フランスの高級ブランド・エルメスを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。1837年、若きティエリー・エルメスが馬具工房としてエルメスを立ち上げ、20世紀にはその技術を生かしながら鞄や財布など皮革製品の製造を通して著しい成長を遂げ、時代を超えてお客様を魅了し続けてきました。
これまでに数多くの企業やブランドが生まれては廃れてきました。素晴らしい技術やデザインを持っていても、その魅力を消費者が時代をこえて感じ続けることはそうそうなく、200年近くの歴史がある企業やブランドは世界でもほんの一握りです。
特にエルメスのように職人の一族で作り上げてきたファミリーブランドは、規模を拡大できなかったり、買収されて自分たちのアイデンティティをなくしたりと、長い歴史の中で継続できなくなってしまうケースがほとんどです。
そんな中、なぜエルメスは180年以上も高級ブランドとして愛され続けてきたのでしょうか。その答えを探るためにエルメスが歩んできた歴史、その中で職人の技術が果たしてきた役割、エルメスのこだわりや工夫などをご紹介させていただきます。
出典:https://anjritayama.blogspot.com/2020/09/ever-hermes.html
1:エルメスが180年間育んできた、顧客との相互関係
エルメスのお客様との向き合い方は、ロゴに込められたストーリーから読み取ることができます。
ロゴには馬車と従者が描かれているのですが、馬車には人が座っていません。そこには、「エルメスは最高の品物を用意しますが、それを御すのはお客様自身です」というフィロソフィーが表現されているそうです。エルメスは素晴らしい製品と世界観をお届けしますが、馬車の席にはお客様が座り、あくまでもお客様が人生を前へと進めるという考え方なのです。
このフィロソフィーの通り、エルメスとお客様は創業から共生関係にありました。しかし、エルメスはお客様の要望や指示を待って事業を行っているわけではありません。
180年の歴史から見えてくるのは、市場のニーズに従う「マーケティング」ではなく、自社の価値観や強みを活かして市場のニーズに応えていく「ブランディング」を徹底してきたことです。また、製品を提供することはもちろん、情緒的価値も生み出し、お客様の生活にプラスアルファの彩を添えるものづくりや体験づくりにこだわってきました。その結果、作り手と使い手の両方が喜び、お互いが豊かになれるWIN-WINの関係性を作り上げることに成功してきたのです。
エルメスの歩み、また時代を超えてどのようにフィロソフィーを体現し続けてきたかを、辿っていきましょう。
1-1:品質の高い馬具製造で名を広めていった初期(1837年〜1899年)
馬具職人として13歳から腕を磨き上げたティエリー・エルメスは、1837年、36歳の頃にパリのマドレーヌ寺院界隈で馬具工房を立ち上げました。
当時、上流階級のステータスシンボルであった馬車。馬車を操縦する上で欠かせない引き具はお客様の安全を守るために重要なパーツで、つくるのには高い技術力が必要とされました。その中でエルメスの丁寧なものづくりは人間だけではなく、馬も傷付けない優しいつくりが施されていたため、多くのお客様に愛され、エルメスの名を確立させました。
初期の顧客には、ナポレオン3世やロシア皇帝も含まれており、エルメスの高い技術力を物語っています。
職人技が上流階級のライフスタイルを支え、顧客がその対価を払う。このフラットな関係性が職人たちの自由と創造性あふれる精神を育みました。この時から、すでに顧客と職人の間の信頼関係は生まれていたのです。
1880年、2代目代表のシャルル・エルメスが自社の特性を光らせる新たな工夫を施しました。職人が乗り手の要望を聞き、それに合わせて馬具をカスタマイズしてくれることに感激を受けた顧客が多いことに気づき、注文販売を承る専門店を開きました。
一つ一つカスタムで馬具をつくることは、大変なこと。しかしそのカスタムされた馬具を身につけた顧客は喜んで、ブランドのファンになっていき、またエルメスで購入したいという自然なロイヤルティが生まれ始めました。
出典:https://www.hermes.com/us/en/product/hermes-cavale-ii-jumping-saddle-H068623CK2175X/
この時、未来のエルメスの兆しも見え始めます。15歳から店頭に立ってきたシャルルの息子エミールは、エルメスの店舗に女性顧客用の手袋やハット・ピンなど、馬具に限らず、馬車に乗る人たちのライフスタイルを彩る商材も少しずつ置き始め、エルメスと消費者の新たな接点を生み出しました。
単に馬車に必要な「道具の販売」ではなく、「豊かな人生を支えるブランド」として、自分たちのポジションを確立し始めました。
1-2:馬具から皮革製品に軸を移した中期(1990年〜1950年)
20世紀が始まると、馬車から自動車へと市民の移動手段が変わり始めました。特に第一次世界大戦の戦場で自動車が広く普及し、自動車による移動が一気に主流になっていったのです。すなわち、これまでエルメスの主事業だった馬具を使う人たちが、どんどん減っていくことが目に見え始めました。
エルメスは、大きなイノベーションを果たさないと生き残れないと気づきました。この時代を、どうやって乗り切っていったのでしょうか。
実は1990年頃、まだ馬車が主流だった時に、3代目のエミール・エルメスは「オートクロア」バッグを初めてつくりました。馬の乗り手のサドルやブーツをしまうために作られたこの鞄は、お客様の間で大ヒットとなりました。それまでサドルやブーツを手で持ち運んでいた乗り手にとって、実用的な運び方が生まれた上、職人技が施されていたため見た目も美しくエレガント。
この経験を土台に1922年、エミール・エルメスは家族や職人達の意見を押し切り、アメリカで発明されたファスナーのパテントを買い取り、鞄や洋服に使おうと試みました。これまで培ってきた、上品な乗馬の世界観や馬具に必要な職人技を大切にしながらも、様々な新しいものづくりにチャレンジすることを決意したのです。馬車を使う人たちは減っていくものの、自動車や汽車を使って遠くに移動する人たち、旅する人たちは増えていくことを予測し、その人たちの新しいライフスタイルを彩るものづくりをしたいと考えました。
この時代に生まれたのは、ハンドルが付いた鞄、ファスナーがついた手袋、革製のベルト、スポーツジャケット、ブリーフケース、腕時計やブレスレット、さらにはエルメスを象徴するシルクスカーフの原型でした。
高品質でファッション性の高い製品を店頭に置き始めると、かつては馬具で有名だったエルメスに、パリ中の女性客が集まり始めました。またエルメス製品の魅力を感じ、世界中のエリート層も注目。イギリスのウィンザー公やココ・シャネルが洋服や小物を身につけたことで、さらに火がついたのです。
出典:https://www.anothermag.com/fashion-beauty/10351/the-fascinating-woman-behind-hermes-window-displays
この時代のもう一つのイノベーションといえば、店舗のショーウィンドウでした。手袋の販売係だったアニー・ボメールが、単に製品を窓際に並べるのではなく、エルメスの世界観を表現する芸術的なウィンドウディスプレイを作り上げ、3代目のエミール・エルメスを驚かせました。
アニー・ボメールはショーウィンドウデザインの総責任者となり、今にも受け継がれる美しいディスプレイをつくり続けました。この時代にエルメスのディスプレイを目的に店頭に立ち寄る人が増えたことも、有名です。エルメスの製品を購入する、しないにかかわらず、全ての人たちに豊さを届ける大切な工夫となりました。
1-3:カレ・エルメスやバーキンなど、象徴商品の誕生(1951年〜1999年)
1951年には、エミール・エルメスの娘と結婚したロバート・デュマが代表に就任。デュマが力を入れた商品といえば、今ではエルメスを象徴するシルク・スクリーンスカーフ「カレ(正方形)・エルメス」。
マルセル・ガンディ氏が提案したシルク・スクリーン技術によって、アーティストが描く柄を美しくプリントすることに成功しました。不幸の多い戦争時代から、幸福な時代に移り変わる象徴として、スカーフには明るい色をたくさんあしらい、一枚一枚の絵にストーリーを込めました。これらのスカーフはただ身に付けるものではなく、個性と芸術性を表現するものになりました。
さらにロバート・デュマは、バックル、クラスプ、チェーンなど、金属を活かした新しい技術や素材を取り入れ、これまでの製品を進化させようと考えました。
1956年にはケリーバッグ、1984年にはバーキンバッグなど、エルメスを代表する鞄のラインが生まれました。これらは職人魂が生かされた賜物で、エルメスが長年培ってきた、他には真似できない職人の技が生かされているからこそ、高額で滅多に手に入れられないものとなりました。
これらのエルメス製品も、時代を代表するハリウッド女優、大統領夫人や王妃が身につけ、世界中の人たちの憧れの存在となっていきました。
出典:https://www.flickr.com/photos/kagen33/9546006316
1980年代から1990年代にかけては、新しい挑戦として会社の買収に力を入れました。しかし、リシュモン系列(カルティエ、クロエなど)やLVMHグループ(ルイ・ヴィトン、フェンディなど)の買収戦略と異なり、職人技の維持を目的としていたため、買収対象は比較的小規模の会社にとどまりました。
エルメスと資本関係のあるブランドには、食器のサンルイ、ピュイフォルカ、英国靴のジョン・ロブなどがあります。「エルメスとの新しい共鳴」をテーマに、自分たちの思想にフィットし、素晴らしい職人技を持つブランドだけをエルメスの傘下に置きました。
1-4:世界への進出と立体的なブランドづくり(2000年〜現在)
ロバート・デュマの息子、ジャン・ルイ・デュマは、世界展開の先陣を切りました。2000年にニューヨーク、2001年に東京、2006年にソウルと、それぞれ象徴的な建物を建て、エルメスのグローバルプレゼンスを高めていきました。
また、2000年代からは製品づくりのみならず、エルメスの価値観を立体的に表現する活動を数多く立ち上げました。これらは後ほど、より詳細にご説明できればと思います。
2008年には、エルメスがこれまで培ってきたノウハウを活かしながら世界中の文化を守り抜くことを目的にしたFondation d’entreprise Hermèsを立ち上げ、世界中のアルチザンのサポート活動を始めました。
また、もう一つ特徴的な取り組みといえばPetit h。様々なアーティストやクリエイターを集め、製造プロセスで残ってしまった皮や布の切れ端に創造性を加えて、芸術的な作品をつくりあげるという活動です。
切れ端に新たな価値を与え、素材の無駄をなくすという地球への配慮だけではなく、職人の創造性から生まれたオンリーワンの製品が顧客に喜ばれました。
出典:https://luxurylaunches.com/wp-content/uploads/2014/06/hermes-petit-h-store-2.jpg
エルメスが生み出す製品や活動には、19世紀から受け継いだ独特の上品さがありますが、今の時代にもフィットする感性も込められています。この絶妙なバランスこそ、エルメスを永久的なブランドへと育て上げたのかもしれません。
2:時代を超えて価値を高めていく、エルメスの工夫
これまでは、エルメスが時代を超えて自社の強みを発揮してきたことを、歴史上の具体例を通してお見せしてきました。これは、どのような考えをもとに実現してきたのでしょうか。もう一度振り返ってみましょう。
私たちパラドックスはブランドづくりにおいて、「SEEDS」と「NEEDS」という考え方があると考えます。SEEDSとはブランドが育んできたらしさ・DNA・強み、NEEDSとはその時代の消費者やオーディエンスが抱える課題や要望です。
引き具やサドルなどの馬具から、鞄やスカーフへと受け継がれていったエルメスの職人技と世界観。この柔軟性から、自社の強みを生かしながら時代に合わせた商品開発や顧客接点をつくっていく、長寿企業の温故知新が見えてきます。
「乗馬から生まれる世界観」、「職人技の伝承」、「移動・旅行のよろこび」などがエルメスの揺るがない強みではありますが、時代の変化に合わせて適応してきたことで、それらの強みがさらに磨かれていったように思います。
その時代に生きる人たちのニーズを先取りし、寄り添いながら、自社の強みを生かした新たな挑戦を重ねてきたことが、エルメスの歴史から見えてきます。
それに対応していくために、自社のSEEDSを頑固に守り抜くのではなく、柔軟におおらかに捉えて自社を進化させてきたことが、時代を超えてエルメスを強いブランドにしてきた大きな要因だったのではと感じます。
3:日本とのコラボレーションから誕生した創造性
SEEDSとNEEDSを重ねてブランドが進化していくというエルメスの考え方は、各国への展開からも鮮明に見えてきます。
エルメスは拠点をつくってきた一つ一つの国で「マルチローカル」という手法をとっており、それぞれの土地の良さを見つめ、エルメスの魅力を掛け算して新しい価値を創造しました。各拠点のトップを担う人はフランスから派遣せず、現地への理解が高い、その国の人を採用しています。
特にエルメスは日本とのゆかりが深いことで有名で、日本においての活動に共創心が現れています。エルメスと日本が価値を掛け算したプロジェクト2つを、ご紹介しましょう。
3-1:日本のお客様への「プレゼント」として造られた銀座のメゾン・エルメス
川島 蓉子さんの「エスプリ思考(2013年)」の執筆に向けて取材を受けたアクセル・デュマ氏は、日本には職人を大切にする長い歴史があり、その精神が根付いているからこそエルメスのファンが多いのではと語りました。
海外展開初期の拠点として日本が選ばれたのにも、その親和性を感じさせます。「日本にエルメスのメゾンをつくる」という発想で、当時は世界でエルメスの売上が2位だった日本のお客様に「プレゼントをしたい」という想いだったとのことです。
しかし、単に本国フランスの建物を再現したり、エルメスをそのまま日本に輸出するのではなく、日本の感性と掛け合わせて建物を作り上げたいと考えました。
採用されたのは、パリのポンピドゥー・センターを手掛けた有名建築家レンゾ・ピアノ氏と、エルメスの店舗の内装を手掛けてきたジャン・ルイ・デュマ氏の妻でありインテリアデザイナーのレナ・デュマ氏。二人とジャン・ルイが考えたのは、東京というダイナミックな街にふさわしい建物を造りたいということ。
そこから生まれたのが、時代に合わせて鮮やかに進化していく東京を映し出す「行灯(ランタン)」というコンセプト。ガラスブロックで包まれた細長い建物をつくり、昼には光を反射し、夜には街を明るく照らす、独特な世界観を放つ存在です。
今では銀座の一つのシンボルマークとなりました。メゾンは、店舗とアトリエだけではなく、上階にはアート・ギャラリー、映画館、エルメスのミュージアムが設けられ、東京の人々に美しい、芸術性の高い体験を届ける場にもなりました。
出典:https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/
メゾン・エルメスから見えてくるのは、エルメスは単に「エゴ」でものづくりをしているのではなく、相手を深く理解して相手を喜ばせる、サービス精神あふれるものづくりをしているということです。
3-2:エルメスの唯一の社史は、日本人による漫画「エルメスの道」
こちらも驚きの事実なのですが、エルメスの社史は、創業から160年近く存在しませんでした。
しかし、歴史を何かの形で描き留めたいと考え、ジャン・ルイ・デュマ氏は「日本の素晴らしい文化」だと感じた漫画を選び、このメディアでエルメスの歴史を表現してみたいと考えたそうです。かなり斬新な発想ですが、魅力を感じたものはリスペクトし、全力で踏み込むというエルメスの姿勢が伝わります。
当時、社史を手がける漫画家の条件は「馬に乗れる人であること、馬を描ける人であること」とのことで、竹宮惠子さんに声がかかりました。馬車や乗馬の文化から生まれたブランドであるからこそ、馬の描写は一切妥協しないと考えたようです。
そこから生まれたのが、創業から1997年までの歩みを漫画で描き切った「エルメスの道(LE CHEMIN D’HERMES)」でした。竹宮さんはかなりの時間と労力を費やしたと語りますが、その結果、エルメスをより広いオーディエンスに届ける最適なメディアが生まれました。
ちなみに2021年3月、最近の歴史20年を描き下ろした「新章」が足された新版が発売されました。新版によって、新たなエルメスファンが生まれることは間違いないでしょう。
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「新版 エルメスの道」
https://www.chuko.co.jp/special/hermes/
出典:https://www.fashion-press.net/news/69523
単にエルメスの文化を受け継ぐだけではなく、世界中の素晴らしい文化にリスペクト精神を示し、共創し、エッセンスを保ちながらも七変化していく。この記事ではわかりやすい例として日本を取り上げてみましたが、エルメスが展開する各国でもその工夫がなされています。ぜひ、世界のエルメスの店舗のコンセプトについても調べてみてください。
このようなエルメスのオープンで創造的なスタンスが、展開する各国にてファンを勝ち取っているのではと感じました。
4:世界の職人技をリスペクトし、伝承していく取り組み
先ほどエルメスが2000年代に挑戦した、新しく立体的なブランド活動に少し触れさせていただきました。記事の後半では、それらをもう少し詳細に説明させていただきます。
どのブランドも、中核にあるのは製品やサービスです。しかし今の時代、一流ブランドに求められているのは単にいい製品やサービスを生み出すことだけではなく、明確な価値観や主張をもち、活動を通して表現していくことです。価値観を表現する活動は副次的だと見られがちですが、顧客とブランドの間でロジックを超えた感情的な繋がり、すなわち「ファン」を生み出すことに効果的なのです。
エルメスは必然的に、「職人技の伝承」を創業から大切にしてきました。1980年代や1990年代のブランド買収の傾向からもその意思は見えましたが、2000年代になると世界中の独自性の高い職人技を伝承していくアクションを始めました。それらの代表的な取り組みを、ご紹介させていただきます。
出典:https://www.fondationdentreprisehermes.org/fr/programme/les-expositions-de-la-fondation
2008年にエルメスは、Fondation d’entreprise Hermèsを立ち上げました。独自の職人技をもつ人たちに焦点を当て、彼ら彼女らの芸術や技術を世界中で継承していくことで、ものづくりの均一化を食い止め、職人の個性が光る世の中を作りたいと掲げています。
職人を守っていくための本気のコミットメントが見えてくる事実として、2019年のアニュアルレポートでは、2018年から2023年の間に40 million eurosをコミットすると記載されています。
この活動の派生とも言えるのが、2009年に中国で立ち上げたShang Xiaというブランド。アーティスティックディレクター兼CEOのジャン・チョン・アー(Jiang Qiong Er)とともに、中国の伝統的な技法を取り入れながらも、モダンで洗練されたデザインを特徴としたアイテムを展開するライフスタイルブランドです。
職人によるものづくりを現代的な感性と接続し、中国が長年培ってきた文化をさらに高める一助になることを目指しました。エルメスは歴史が長いからこそ、長く続く中国の歴史と文化にもリスペクト精神があり、そこから生まれたコラボレーションなのではと感じました。
出典:https://kkaa.co.jp/works/architecture/shang-xia-beijing-store/
自社の職人の職や技だけではなく、世界中の職人を支えていく。言葉で言うことは簡単なのですが、それを実際の取り組みに落とし込んでいることが、エルメスの素晴らしさだと感じました。
5:時代にフィットした、環境配慮や社会課題解決のアクション
2000年代に入ると、エルメスの環境配慮やサステナブル経営への取り組みが一際目立ち始めました。しかし、単に世界がその方向に向かっているから取り入れているのではなく、他のブランドよりも先駆けて、自社の価値観とすり合わせながら行ってきました。
5代目社長のジャン・ルイ・デュマ氏曰く、エルメスは「ものを作って売るだけではなく、社会と接点を持って役割を果たしていく社会的集団です」とのことで、この流れにも自然に乗っていったのではと思います。
環境課題への姿勢は、素材の扱い方や、工房や運営上の工夫から見えてきます。例えば、工場で自然資源の利用を削減したり、エネルギー消費を削減したりと努力をしているのは当然のように行ってきたこと。
2019年に発表したアニュアルレポートでは、昨年対で水の使用料を7%削減、産業エネルギーを2%削減したと発表しました。また、サプライヤー選びも厳重に行っており、サプライヤーのうち76%は社会・環境・倫理的な責任感を正式にコミットしたパートナーです。
以上のように持続可能性を考えて始められた取り組みを世界にも発信していくために、メゾンの足跡をたどる映像シリーズ「世界をめぐる足跡」を作成。
映画やドキュメンタリー作品の監督としてフランスの優れたジャーナリストに贈られる「アルベール・ロンドル賞(Prix Albert Londres)」を受賞したフレデリック・ラフォンが手掛けました。
新たな発見を求めてさまざまな手仕事を追いかけ、世界中のあらゆる地へと渡っていきます。持続可能な発展への、エルメスならではの取り組み方がありのままに描き出されています。
出典:https://brandjoy.jp/2019/07/post-151.html
動画は、こちらよりご覧いただけます
https://www.hermes.com/jp/ja/story/198316-the-planet/
また、4代目社長の姪の娘、パスカル・ムサール氏による前述した「Petit h」という新しいブランドは、意識をしていたわけではありませんが、環境意識という時代の流れにもちょうどフィットし、大きな成功を遂げました。
パスカルは、小さな頃からエルメスの店舗を訪れては、スカーフや革の切れ端を持って帰り、それらを宝物のように扱っていたとのこと。どのような素材にでも価値があることを幼少期から感じており、エルメスに加わったのち、ずっとその価値をなんとか活かせないかと考えていたのです。素材に職人の創造性と技を掛け合わせれば、世界を驚かせるものが生まれるのではと感じたのです。
Petit hでは、異素材を組み合わせ、これまでにない面白い見た目と機能の、オンリーワンのものが出来上がりました。これらの製品は消費者にも大好評で、「新しいエルメス」と称賛されたうえ、上質な素材を無駄にするのではなく、最後まで素材を使い切るという観点で「サステナブル」と評価され、エルメスが大切にしてきた価値観をお客様に発信することにも成功しました。
出典:https://www.minniemuse.com/musts/have/quirky-objects-by-petit-h
6:エルメスのブランドを作り上げてきた、人の教育
以上のようなエルメスならではのこだわりは、180年以上にわたり、どのように育み飛躍させてきたのでしょうか。
その答えは「人」にあると考えます。どの企業でも人がブランドを作ると言っても過言ではなく、エルメスの場合、職人の力によって他社に真似できない製品、店頭に立つスタッフによって感動のサービス品質が生まれるため、働き手を育成することは事業の存続において欠かせません。
「エルメスという企業と、職人をはじめとする社員とは、単に仕事を供給する、供給されるという関係でなく、もっと人間的なかかわりを育んでいるのだと感じました。特異な文化を持った会社だと思ったのです」と5代目代表のアクセル・デュマ氏は「エスプリ思考」で語りました。この言葉の通り、エルメスはエルメスらしい人間教育に、全力をつぎ込んできたのです。
6-1:技の温故知新を通して、職人として働く誇りを醸成
エルメスの職人達は、エルメスの事業を継続させるために不可欠な事業の土台です。創業から培われてきた技術力が伝承されていくのはもちろんのこと、新しい刺激を受け創造性を養い続けることで、エルメスで働く誇りを醸成しています。
職人が入社すると、まずは基本のものづくりから始めます。見習いの卒業条件として、ミニチュアの鞍を素材から完成まで作らなければいけません。これはエルメスの創業からの伝統やストーリーを受け継ぐことを目的しているのと同時に、エルメスでのものづくりのルールである「一人が製品の最初から最後まで手掛ける」基盤ともなるのです。
例えばハンドバッグをつくる際も、鞍と同様、一人の職人がその製品を最初から最後まで手掛けます。エルメスの中でも人気が高い「バーキン」や「ケリー」は、一つのバッグを作り上げるのに、優秀な職人でも約18時間かかるとのこと。
しかしそれだけ労力がかかっても分業をしない理由は、一人の職人がすべてを手がけることで、責任と愛情を持ってものづくりに身を捧げられると信じているからです。見習い時に鞍をつくる時から、その誇りが職人達に根付きます。
また、それぞれの製品にオーナーシップを持つために、一つ一つに必ず商品番号を刻みます。それは、つくるだけではなく、アフターケアや修理までを同じ職人が担当することがエルメスのポリシーだからです。「鞄に名前を刻印することは、とても誇らしいこと。世界を旅してどこかの誰かの手に渡るのですから」と、ある職人は語ったようです。
職人達の働く環境も、こだわりを持って育まれています。フランスにある工房は、明るく気持ちいい空間を作ることをはじめとして、美術館や託児所もアトリエの中に配置し、働きやすく、刺激の多い環境を作り上げています。環境からも、自分たちが創造性あふれるプロフェッショナルだという意識が醸成されています。
また、技術はアトリエで学ぶのみならず、職人たちのコンペティションを開催するなど、常に自分たちの技術を磨く舞台を用意しています。
さらには、様々な国や文化から刺激を受けることを目的に、インド砂漠で遊牧民と交流したり、アマゾンの部族を尋ねたりして、暮らしの中で使われる道具に触れるイベントを開催。日本の博多人形職人に会いにいく職人の研修もあったようです。これは単に体験を与えるだけでなく、旅からインスピレーションを受けて新しい製品や加工技術を生み出すことにもつながっているようです。
単に伝統技術を学ばせるのではなく、伝統の良さと新しい時代の感性を掛け算できる環境があるのが、エルメスの職人を成長させる、独自の土台なのではないでしょうか。
出典:https://www.flickr.com/photos/14657061@N00/5884210679
6-2:体験や逸話を通して受け継がれるエルメスの「エスプリ」
エルメスが教育に力を入れているのは、職人だけではありません。実は全社員共通で大切にしている精神、フランス語で言うと「エスプリ(精神性)」という考え方があります。これは全ての製品、サービス、事業において大切にされるもので、エルメスらしさを作り上げている大切な要素なのだと感じます。
多くの企業は理念を言葉として掲げ、それをなんとか受け継げるように朝に昌和をしたり、暗記することに力を入れています。しかしエルメスの場合、働く一人ひとりにエルメスから生まれた物語を伝承したり、エルメスの「エスプリ」を体験する場を設けることで、創業から大切にされてきた精神を次の世代に受け継いでいます。
例えば「いいものを絶対に作る」という誇りを、受け継いでいます。これだけを聞くとかなり感性的で、人によって様々な捉え方ができるため、受け継ぐことが不可能なのではと感じる方も多いでしょう。エルメスではこの「いいもの」の定義をより明確にするために、「どれほど時間が経っても良いと感じられるものをつくる」という基準値にし、徹底しているのだそうです。例えば、エルメスは長い歴史の中で、ヨーロッパ中に愛される馬具や、世界中のエリート層が重宝するバッグなど、高いスタンダードのものづくりを実現してきました。だからこそ、そのトラディションに匹敵し、長くファンに愛されるものを作らなければいけないという考え方を、一人ひとりが持っているのです。
エルメスには言葉で表現しきれない「エスプリ」という精神もあります。エルメスの「エスプリ」とは、どのようなものでしょうか。
例えばさかのぼって1972年、イギリスからエリザベス2世が来仏し、エルメスの店頭の前をパレードが通った際に、社員総出で薔薇の花びらをまいて歓迎したとのことです。1989年1月にエルメス の150周年を迎えた際も、セーヌ側沿いで式典を開催し、お客様への感謝を込めて、エルメスのバイタリティを表現する花火をあげました。「エスプリ」には明確な意味はない。しかし感情が揺さぶられること、感動することこそ、人間が本能的に理解できること。この人間らしい感覚を社員一人ひとりに伝達し、その先にいるお客様にも届けようとしているのではと感じました。
社員には、「エスプリ」を体験する研修も設けています。ローマで行われたある研修は「スウィンギング・シルク」と題され、プログラムの一つとして、180名に及ぶ参加社員全員が、街中の広場に集ってダンスするという催しがありました。
コーチに振り付けを教えてもらい、ある程度練習した上で、エルメスのスカーフを身につけて皆が一斉に踊る。セミナーには、職人に限らず、営業、販売など、さまざまな職種の社員が、国籍を越えて、世界中から集ったとのことです。
普段は一緒に仕事をすることがない、同じ会社の人たちと、ローマの広場でダンスしたという記憶は、決して忘れない思い出になっていく。いわば家族旅行のようなものであり、その感動体験を今度はお客様に提供したいと感じ始めます。このような感性的な体験から、社員の素晴らしい行動も生まれるのではと感じます。
例えば、エルメスのスカーフに憧れたおばあさんが店舗の外からディスプレイを眺めていた時に、店員さんが「スカーフを見てみませんか?」と中に誘い入れたのですが「エルメスが買える身分ではないから」と彼女は遠慮をしました。その時に「スカーフは、見られること自体を喜んでいるのですから、心配なさらないでください」という言葉をかけたそうです。
感動したお客様は、その後に社長に手紙を書き、その手紙を読んだデュマ氏は店員に直接お礼を言いに行ったとのこと。エルメスの製品を買っても買わなくても、豊かな気分を味わっていただくことがエルメスの存在価値。それこそ「エスプリ」なのではないでしょうか。
7:最後に:日本の企業や職人がエルメスから学べることとは?
エルメスというブランドには長い歴史と特異性があるため、エルメスに匹敵するブランドを作るのには何十年、何百年の積み重ねが必要です。しかし、職人技を生かして長く続くブランドを作りたい人たちは、日本にたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。その中で大切にすべきエッセンスは、エルメスから学べると思います。
例えば、自社の強みや独自性を理解し、誇りを持って継承していくこと。一方で、時代の要請も敏感に感じ取り、自社の強みを生かしながらそれらに応えていくこと。これを実現するために温故知新を続け、人にそのらしさと知恵をしっかり伝承していくこと。このような地道な活動を長く、めげずに継続し続けてきたからこそ、エルメスは世界中で愛されるブランドへと育ってきたのだと思います。
これまでエルメスが積み上げてきたブランド価値は、一晩では崩せません。着実に積み重ねてきたこの資産の力で、エルメスはきっと永く未来にも続いていくでしょう。
<参考>
川島 蓉子. エスプリ思考エルメス本社副社長、齋藤峰明が語る (Japanese Edition)
竹宮惠子. 新版–エルメスの道
2019 UNIVERSAL REGISTRATION DOCUMENT INCLUDING THE ANNUAL FINANCIAL REPORT
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