おそらく日本で暮らす多くの人が一度は名前を聞いたことがあるであろう、渋沢栄一という人物。大河ドラマ『晴天を衝け』のモデルだと思う方もいれば、 新しい1万円札の顔として知っている方もいるかもしれませんね。
他にも、第一国立銀行や東京証券取引所をつくった人で、一橋大学や東京経済大学などの創設にも関わっています。加えて、創設した企業や大学は500以上。挙げればキリがないのですが、現代の我々と実は接点の多い人物でもあります。
活躍したのは近代ですが、いまの我々が学ぶべきことも実は非常に多い渋沢栄一。今回は彼の『論語と算盤』を取り上げます。
中でもパラドックスとして注目したいのは、志の話と中庸の話の2点です。とくに理念や志を基にビジネスを行う姿勢は私たちパラドックスとしても、改めて学びたい点でもあると考えています。加えて、「資本主義の父」とも呼ばれている渋沢栄一が実際に提唱していた「合本主義」についても解説をしていきます。
1: なぜ今、渋沢栄一なのか?
ところで、なぜ今、渋沢栄一が注目されているのでしょうか。
もちろん新紙幣になったり大河ドラマになったりといった、話題性も理由のひとつ。ただ、それだけではありません。
多くの会社や銀行、教育機関をつくり、日本の産業発展の礎をつくったと言われる彼の言葉に、ビジネスの側面で学ぶべきことがたくさんあります。
近年では、いき過ぎた資本主義が問題視されることもあり、売上市場主義や株主市場主義だけに偏る傾向を引き戻そうとする動きも生まれ始めています。人類のためにならないこと、地球環境に悪いこと、差別や格差を利用した搾取などなど。企業としての倫理を問われる場面を、日々ニュースなどでも目にすることがたくさんあります。
その抑止力としてSDGsやパーパスなども取り上げられています。
長年、経済は永遠に同じペースで発展できると信じられていました。環境汚染や資源の枯渇問題も、人類の技術の進歩で相殺されるから心配しなくていい。そう考えられていました。
しかし、環境は汚染され続け、人々の格差は広がり続け、一向に収まる気配もない。どうやら、このままではまずそうだ・・・もっと、地球全体のことを考えないと我々に未来はないのでは、と。多くの人が気づき始めています。
その中で、改めて渋沢栄一が注目されているのです。
渋沢栄一は、日本の産業の発展に寄与し、つくった企業は約500にものぼり、現代のビジネスの礎をつくりました。
そんな彼が大切にしたものの中に「商道徳」というものがあります。儲けを独占したり、礼節を軽んじたりをよしとしない。人としてどう振る舞うかを大事にしてビジネスを実践しました。渋沢栄一の重んじる道徳は、孔子の『論語』をベースにしている。それらの考えをまとめたものが『論語と算盤』です。
こんにち資本主義の弊害を見ている我々は、資本主義の原点に立ち返ることで、学ぶことがあるかもしれません。だからこそ、渋沢栄一、そして『論語と算盤』が見直されているのかもしれません。
2: 渋沢栄一が生きた時代
まずは、渋沢栄一が生きた時代について、簡単に振り返っておきましょう。
渋沢栄一は1840年生まれ。渋沢栄一が13歳のときにペリー来航、27歳で大政奉還がおこります。江戸時代から明治時代の転換期を生きた人なんですね。加えて言うと、亡くなったのは満州事変の年なのでとても長生きをされた方でした。
そしてこの時代は、社会が大きく変わった時代でもあります。
現行の日本の制度や仕組みで我々が当たり前と思ってることは、だいたいこの時期に基礎がつくられています。明治維新、富国強兵、殖産興業。そういったキーワードで表されることの多い時代でしょう。畑を耕したり、家族で手工業をやってた時代が終わって、現代の「会社で働く」スタイルが生まれたのもこの時期です。
『はいからさんが通る』や『ゴールデンカムイ』、『るろうに剣心』などの時代だったりもします。
3:『論語と算盤』のポイント
『論語と算盤』は現代語訳がいくつかありますが、今回はちくま新書のものを読んでいます。あらすじだけ解説しているものだったり、マンガや図解を駆使しているものなど様々ありますので、自分に合ったものを探してみてくださいね。
『論語と算盤』については、一言でいうなら「商売をするなら、人としてどうあるべきかを論語から学びなさい。」という話です。
道徳(論語)と商売(算盤)どちらかだけではダメで、どっちも意識するから豊かになるのだよ、という話なのですね。
注目したいポイントとしては、次のような点が挙げられます。
それまでの日本で論語といえば、位の高い武士階級に積極的に学ばれる学問でした。しかし、その限られた階級だけが学べる学問という認識が論語を高尚なものにしすぎてしまった。一部の人だけが学ぶ難しいものにしてしまった。というのが渋沢栄一の指摘です。
また、当時の武士階級が習っていた論語は、元々の作者の孔子の教えとは若干異なり、朱子学の影響を受けた読み解かれ方を当時の日本ではしていました。武士は清貧であるべきで、商売(金儲け)はよくないことという解釈が一般的であり、だからこそ論語の対極におかれるようなものだった。
『論語』が朱子学として伝承されるうち、富や地位道徳は両立しないものとして解釈が広められてしまったんですね。ただ、渋沢栄一は本来そうではないと主張しています。論語は、もっと身近の暮らしに紐づいた実用的なもので、経済と道徳の合一のための大きなヒントになるとしています。
『論語』には、己を修めて、人と交わるための日常の教えが説いてある。『論語』はもっとも欠点の少ない教訓であるが、この『論語』で商売はできないか、と考えた。そして私は、『論語』の教訓に従って商売し、経済活動をしていくことができると思い至ったのである。
「わたしは『論語』で一生を貫いてみせる。金銭を取り扱うことが、なぜ賎しいのだ。君のように金銭を賤しんでいては、国家は立ちゆかない。民間より官の方が貴いとか、爵位が高いといったことは、実はそんなに尊いことではない。人間が勤めるべき尊い仕事は至るところにある。官だけが尊いわけではない」
論語は、商売をする上で、生きる上で役立つもの。実用的で卑近な教えだというのが渋沢栄一の視点だと言えます。さてここから4章5章6章は、注目したいポイントを抜き出して見ていきましょう。
4:資本主義ではなく、合本主義
渋沢栄一はよく「資本主義の父」と呼ばれるのですが、実は本人は資本主義という言葉は使っておらず、「合本主義」という言葉を使っていたそうです。資本主義に近いのですが、みんなの利益を合わせて一つの資本として考えるという「公益」への意識がもう少し強いものです。
まずは我々の「当たり前」になっている資本主義について確認しましょう。
(わかりやすくするために細かい部分は割愛しながら進めるので、資本主義に関する正しい知識を得たい方は改めて調べてみてくださいね)
昔々は、農業が「生産」のベース。領主と小作人の関係でした。そこから産業革命が起こって、世界は製造業へシフトし、工場でモノをつくるのが「生産」になりました。つまり工場や製造に必要な設備を持つ資本家と働く労働者の関係。これの上に成り立っているのが資本主義です。
資本家&労働者の構造で、端的に言うと「資本を持っている人が偉い」「稼いだ方が偉い」逆に言えば「偉いの指標がお金」の世界です。
……と言うと、「あれ、なんか道徳が大切と言っていた渋沢栄一と相性悪そうでは?」と思いませんか。そのとおりなんです。現代の我々からは「資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一ですが、彼自身が目指したのは、資本主義ではなく「合本主義」でした。
渋沢栄一の言う、合本主義。「合本」は、資「本」を「合」わせるの意です。
何かひとつの目的に向け、資本(いわゆるヒト・モノ・カネ)を集めて来て事業を行う、といった意味合いのものなんですね。これはこのまま資本主義にも当てはまることではあるものの、渋沢栄一が強調したのが、「公益」の追求。国が豊かに、社会にメリットがあることを、企業は目指すべきであり、そのためのひとつのあり方が合本主義だというわけです。
『論語と算盤』の中ではこんなことが書かれています。
いかに自分が苦労して築いた富だ、といったところで、その富が自分一人のものだと思うのは、大きな間違いなのだ。要するに、人はただ一人では何もできない存在だ。国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる。
つまり、事業をやるにしても、ただ生きるにしても、その基盤は社会が支えてくれている。社会の中で生きている以上、社会に利益をもたらさない事業などありえないということ。「オレが儲けたい」だけではダメなんですね。
渋沢栄一は、一人ひとりの資本は一滴の水に過ぎないが、それが集まれば大河となり、大海となる。そうなって初めて、世の中へのより大きな良い影響を生み出すことができると言っていたそうです。
ヨーロッパで巨大な資本とその影響力を目の当たりにした渋沢栄一ならではの、大きな世界観ですね。今でこそ当たり前ですが、当時からこの考え方を持っていたことには、改めて驚かされます。
5:立志の大事さ
『論語と算盤』の第2章にある、「立志と学問」で説かれているテーマ。おそらく『論語』と聞いて多くの人が思い出す、あのフレーズが出てきます。
孔子が言った。「私は十五のとき、学問によって身をたてようとした。
三十歳で自立した。
四十歳になって自分の進む方向に確信が持てるようになった。
五十歳で天命を自覚した。
六十歳で人の意見を素直に聞けるようになった。
七十歳で、心のままに振る舞っても、ハメをはずすことはなくなった。
(子曰く、「吾、十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にし天命を知る。
六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従いて矩をこえず。)」
とても有名なので、意味も含めてご存知の方も多いでしょう。15歳でどんなことをしていきたいのか決め、30歳で自立。40歳では環境に左右されることなく志を貫くのだという話です。
どんな人にも志が必要で、志とは「これだけは譲れない」と思うもののことを言います。
ただし志には、大きな志と小さな志があるとも、渋沢栄一は主張をしています。志には2つの種類があるんですね。大きな志は、コロコロ変えるものじゃない、譲ってはならないもの。一方小さな志は、大きな志に基づくもの。変えてもいいし、日々実現するものだとされています。
『論語と算盤』の中で渋沢栄一自身は、志がかなり揺れた時期もあったと振り返ってます。
国をつくる仕事をするべきか、実業(ビジネス)の道へいくか、と揺れた時期もあったよう。早くに決めることができていたら、今以上の成果が挙げられたかもという後悔があり、自分の失敗に学んでほしいといったことが書かれています。
6:『論語と算盤』の“と”の力
タイトルの論語と算盤もそうなのですが、この本の中では「○○と○○」のようにふたつの概念をぶつけて何かを語る章がとても多い。通じて、ふたつのもののバランスが説かれている印象を持つことができます。
渋沢栄一さんの玄孫である渋沢健さんは、『論語と算盤』のなかで忘れてはいけない大事なポイントは“論語”でも、“算盤”でもなく、“と”の力だとおしゃっています。機械やAIが得意としている0か1か、またはorの発想ではなく、これからはand発想から生まれる第三の解を導き出す力こそが、人間の本来の果たすべき役割と言えるのかもしれません。
3章で触れたように、論語と算盤はもともと対極にあるものとされていました。しかし渋沢栄一の捉え方は真逆。どちらが正しい、といった話ではなく、論語も算盤もどちらもがいると考えたのが渋沢栄一です。だからこそ、豊かになるのだと。
その「どちらも」の考え方が他のところでも、一貫して主張されているように思えます。
章立てを見るとわかりやすそうですね。ふたつのものを比較したり、いいポイントをどちらもから取り入れながら、論が展開されています。
第1章 処世と信条
第2章 立志と学問
第3章 常識と習慣
第4章 仁義と富貴
第5章 理想と迷信
第6章 人格と修養
第7章 算盤と権利
第8章 実業と士道
第9章 教育と情誼
第10章 成敗と運命
(そしてこの目次を見ると、この記事だけで触れられるのがほんの一部だということも察することができますね…!)
もっと細かい内容もそうで、たとえば下記のようなテーマについて、本文ではとりあげられています。
・争いはよいのか、悪いのか
・得意なときと失意のとき
・憎みながらも相手の美点を知る
・仁を実践するにあたっては、自分の師匠にも遠慮しない
・「経済活動」と「富と地位」を、孔子はどう考えていたか
などなど……
これら一つひとつの議論も面白いのでぜひ読んでいただきたいですが、共通して重要なのは、どちらかに偏るのがダメといった話ではないことです。
偏らず真ん中にいる=バランスがとれている、ではないのです。
(たとえば、最初から「オレは中立だけど」って言う人、バランスがとれた人じゃなくて、ただ思想も意見もないだけの人だなって、思ったことありませんか……?)
渋沢栄一が言うバランスの重要性は、「どちらも」を意識することなのです。一旦偏ってもよくて、その代わり、自分とは異なる意見や視点を想定する。そちらの考えと、自分の考えを行ったり来たりしようとするのを忘れないこと。それが渋沢栄一の言う中庸の考え方。いまの言葉でいうと、バランス感覚の本当の意味なのでしょうね。
7:日常で活かせる『論語と算盤』
今回は、渋沢栄一の『論語と算盤』を取り上げ、2つのポイントに絞って解説しました。
まずひとつめのポイントは、大きな志と小さな志の話。大きくて変わらない志と、大きな志を実現するために都度必要なことで変えてもいい小さな志を持つ必要がありました。
それから、中庸は偏ってもいいということ。始めから真ん中を意識するのではなく、常に自分の考えと異なる意見も想定して行ったり来たりすることが大切でした。
このあたりの2点、ビジネスに、そして生きる上でも何か「あっ」と思い出す瞬間もあるかもしれません。そうやって思い出して次の思考や行動にいい影響をもたらすものがひとつでもあれば、きっと昔の人の本を読むことにも大きな意味があるのではないでしょうか。
名作と呼ばれるからといって、全部そのまま役立てる必要もないわけで。またご自身で読んでみると他のポイントが心に残るかもしれません。
じつは『論語と算盤』は読む人によってかなり解釈が異なるものでもあるそう。もしもこの記事を読んで興味が出たのであれば、ぜひご自身でも手にとってみてくださいね。
参考文献
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