株式会社パラドックス

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創業100周年を機に、
ボトムアップで理念をつくる。
全員参加の理念策定プロジェクト。

CLIENT:ジオリーブグループ株式会社さま

  • コーポレートブランディング
  • 東京都

建材の流通を主たる事業として1923年9月、関東大震災の直後に、瓦礫の山と化した街をベニヤ板を持って奔走し、復興に尽力したことが創業の原点です。

創業100周年を間近に控えた2021年。事業内容を大きく広げ、社員数も1,000名を超えるまでに成長したジオリーブグループが、グループ一丸となって次の100年を考える理念策定プロジェクトを実施しました。

1ブランディングの背景

ジオリーブグループ(当時はジューテックホールディングス)から理念策定とロゴマークの刷新、社名変更を一式でご相談いただいたのは2021年のことでした。創業100周年まで2年を切る中で、次の100年に向けてグループの存在意義を改めて明確にしたいと考えていた足立会長(当時は社長)。プロジェクトがスタートする際、会長から全社員に送られたメールには次のような思いが綴られていました。

 

ジューテックグループは、

「私たちは未来ある子供たちのために

地球にやさしい住環境と夢のある豊かな暮らしを提供します」

という言葉を経営理念に掲げてきました。

しかし、時が経ち、この理念が今では

「心地よい言葉」になっているように私は感じるのです。

そこで、この100周年という節目に、

改めて事業を通じて自分たちが世の中に提供している価値を明確にし、

次の100年に向けた価値創造ができるような

全社のマインド、つまりコーポレートアイデンティティを

つくっていきたいと思っています。

 

ポイントになったのは、あくまでも社員たちが主体となって理念を考え、それを経営層に提案するというボトムアップ型の理念策定を会長が望まれていたことでした。全国の拠点に散らばる社員たちをどこまで巻き込み、主体性を引き出せるか。自社の次なる100年を担うアイデンティティを一人ひとりが“自分ごと”で考える、理念策定プロジェクトが始まりました。

▲1933年のベニア商会(当時の社名)の外観。

2理念策定プロジェクト

理念策定プロジェクトは、持株会社であるジオリーブグループ(当時はジューテックホールディングス)と、主要事業会社であるジューテックから始動しました。

グループ前半は次の図のように階層化して順次実施しました。

最初に行ったのは、プロジェクトチームでの理念策定のワークショップです。全国の拠点から集まった12名の社員が、自社の「らしさ」が表れるエピソードを出し合い、言葉を付箋に貼り出していきました。

たとえば品薄や流通トラブルの際にも、変わらず取引をしてくださるお客さまに対してただ耳障りのいいことを言うのではなく、フェアで誠実にコミュニケーションをとってきたこと。東日本大震災の時は、混乱の中、社員一人ひとりが目の前のお客さまのために現場判断で動いたこと。エピソードから浮かび上がる価値観を丁寧に掬い上げ、何度も議論を重ねながら、グループ共通のパーパスとスローガン、そしてジューテックのミッション、バリュー、スピリットの各案をまとめていきました。

▲北は仙台、南は福岡から集まった職種も所属も異なる社員が、それぞれの立場から真剣に意見を出し合います。

次に、プロジェクトチームの出した案をさらに磨き上げることを目的に、各部門の部所長約100名に向けた追体験ワークショップを実施しました(全3日程)。この際、参加している部所長にはファシリテーションスキルの伝授も同時に行い、各人が自部署の社員に対して同じワークショップができるよう準備を進めました。

▲プロジェクトチームがまとめた理念の案に対し、「良いと思ったところ」や「こうすればもっと良くなると思ったところ」を出していきます。

最後に各部所長がファシリテーターとなり、各拠点で働く社員たちに向けてワークショップを行いました。これまでのワークショップの内容を反映した理念の草稿を提示し、なぜこの言葉になったのかを部所長自らが説明。それを受け止めた一人ひとりがワークシートに意見を記入し、自分の日々の仕事と理念の言葉の結びつきを深く考察しました。

▲回収したワークシートにはどれも意見や思いがびっしりと。熱い思いを持って取り組んでいただきました。

ワークショップで各拠点から出た意見は一旦すべて吸い上げて整理し、再度プロジェクトチームに還流させる形で提示。意見を受けて修正するか、修正するならどのような形で取り入れるかを議論し、最終案へと仕上げていきました。

 

プロジェクト開始から約9ヶ月。のべ14回のワークショップの末、プロジェクトメンバーから経営層への提案が行われました。役員会の承認を得て決定したのが次のパーパス、スローガン、ミッション、バリュー、スピリットです。

 

▲今後100年の事業領域を住宅に留まらず、人と自然の共存にまで視座を高めたパーパス。ミッションには新たに生み出した「住観」という言葉を据え、「一人ひとりの住まい方や暮らし方を踏まえた生き方」という価値を日々の仕事の中で意識できるようにしました。

また、プロジェクトの進捗をメールマガジンでも配信。全社に理念策定のプロセスを理解してもらえるように情報発信を行いました。

▲全6回に分けて配信したメールマガジン。理念のワードが決まっていくプロセス、そしてプロジェクトチームの思いまで、プロジェクトの進捗を全社に共有しました。

3社名とロゴマークの検討及び、事業会社への展開

3-1. 社名の検討

理念の決定を受け、新社名の検討に入りました。

従来の社名は、「住」と「テクノロジー」を掛け合わせたもの。名づけ親である会長曰く、命名当時は目の前のお客さまを助けることに奔走しており、込めるべき意味合いやビジョンまで深く検討して名づける余裕はなかったのだそうです。

一方で社員たちは長く親しんだ社名に愛着を持っており、業界の知名度もあったことから「社名は変えない方が良いのではないか」という意見も挙がっていました。

 

変えるべきか、変えないでおくべきか。膠着する話し合いに転機が訪れたのは、プロジェクトの目的である「次の100年に向けた価値創造」に立ち返り、どんな社名だとそれが成し得るかに議論が及んだ瞬間でした。「やはり今の社名のままでは、自分たちの事業を今後も住宅だけに狭く限定してしまうかもしれない」という空気がプロジェクトチームの間に生まれたことで、改めて「これから100年の器になり得る社名を生み出そう」と全員が納得。プロジェクトは、持株会社の社名を変更する方向で動き始めました。

社名案は、パラドックスとプロジェクトメンバーの双方から発案。絞り込みながら議論を進め、役員会での承認を経て、ジューテックホールディングスの新しい社名は、ジオリーブグループとなりました。

▲地球を表す「geo(ジオ)」と、生きるを表す「live(リブ)」。人と自然が生まれ、共に栄えるこの地球で、次の暮らしや、生き方をつくる会社でありつづけるという意味を込めました。

一方、主要事業会社であるジューテックにおいては、あえて社名を変えない選択を取りました。歴史を積み重ねてきた社名を背負い、これからも「住」にまつわる事業を展開していくこと、そして、社名は変えずとも、新たな理念をもとに次の100年へ向かう意思をプロジェクトチーム内でも再確認しました。

 

なお、グループ共通のパーパスと持株会社の社名変更を受けて、グループのその他の事業会社に対しても説明会を実施しました。各社の状況やニーズに合わせて、独自のミッション、バリュー、スピリットの策定及び社名変更に関する言語化のお手伝いをさせていただき、グループ全体のブランド統一、浸透に伴走しました。

 

 

3-2. ロゴマークの刷新

新社名が決定したのち、グループ全体のシンボルとなるロゴマークの刷新が行われました。

パーパスに向かいグループで一丸となって取り組み、ブランドを統一するべく、新たなロゴマークはすべての事業会社において統一されました。

刷新においてまずは「地球」「人」「自然」「共栄」「次代」など、フックとなる言葉をもとに複数のロゴ案をパラドックスから提示。競合他社と似通っていないかも含めて検討を進めました。最終的にプロジェクトチーム内で投票をし、残った4案を役員会に提出。地球と「人」の字をかたどった新しいロゴマークが決定しました。

▲「アースマーク」と呼称。青い地球の形と、地球に根差し交差するラインは4つの 「人」の字でできており、パーパスである「人と自然が共栄する、次代の生き方をつくる。」姿勢を表現しています。

▲事業会社もロゴマークを統一。グループ全体のブランドの統一を図りました。

3-3 VIガイドラインの制作

 

ロゴマークを使用するにあたり、VI (ビジュアルアイデンティティ)をグループ全体で統一するためのガイドラインを制作しました。

4各種クリエイティブツールへの展開

◉コーポレートサイトのリニューアル(ジオリーブグループ)

新しいロゴの世界観に合わせながら、パーパス及びスローガンを表現するコーポレートサイトを制作しました。

https://www.geolive.co.jp/

▲スローガンである「次の生き方をつくろう。」を軸に、未来を見つめる人びとの眼差しと、その先にある「人と自然の共栄」をファーストビューで表現しました。

◉日経広告

創業100周年と社名変更を記念し、二度の日経広告を出稿しました。弊社はクリエイティブディレクションを担当しました。