「クレドの浸透に成功したグローバル企業」といえば、リッツ・カールトンを思い浮かべる方が多いでしょう。世界トップランクのラグジュアリーホテルで、素晴らしいサービスレベルを誇ることで有名です。また、「ゴールド・スタンダート」という名のクレドが存在し、全従業員が徹底していることもよく知られています。そのため、ホスピタリティを大切にする多くの企業はリッツ・カールトンをロールモデルとし、背中を追って、自社のクレドづくりに励んできました。
しかし、単にクレドを言語化し、掲げるだけでは、社員にはなかなか届きません。経営者やマネージャーの皆様であれば、その難しさに対する実感値があるのではないでしょうか。パラドックスのお客様にお伺いしても、「せっかくクレドを作ったのに、社内に全く浸透しないんですよね…」というお声を聞くことも多くあります。
クレドの定着に苦戦する会社が多い中、なぜリッツ・カールトンは「ゴールド・スタンダード」をグローバルで働く従業員40,000人に浸透することに成功したのでしょうか?
出典:https://www.facebook.com/ritzcarltonkyoto
この記事では、リッツ・カールトンが掲げる「ゴールド・スタンダード」の中身、それをどのように従業員一人ひとりに伝達しているのか、さらにクレドから生まれた行動がどのようにリッツ・カールトンのブランディングに貢献しているかを紐解いていきます。
1:社員の行動がブランディングにつながる理由
コーポレートアイデンティティとは、MIND IDENTITY・BEHAVIOR IDENTITY・VISUAL IDENTITYの3つにより構成されています。その中でも、企業の価値観や思想を言語化したMIND IDENTITYを、言動へと具現化したものがBEHAVIOR IDENTITYです。MIND IDENTITYは、単体で存在していても機能を果たすことはできず、BEHAVIOR IDENTITYを通して世の中のお客様に見て、聞いて、感じ取っていただく必要があります。
特にサービス業界において、BEHAVIOR IDENTITYはブランディングの要素として欠かせません。
それは、サービスの直接的な接点となる従業員の「あり方」や「言動」が、お客様にとってブランドを感じる大きな要素になるからです。もちろん、レストランやホテルの世界観、提供するサービス内容やお料理もとても大切です。しかし、素晴らしいホテルやレストランが数多くひしめく現在では、そこで過ごす時間を他社と差別化し、記憶に深く刻むのは「体験」なのではと感じます。
特にホテルにおいては、お客様がそこで過ごす時間がレストランや店舗と比較しても圧倒的に長いですし、旅行であれば日常から離れて心身ともに休むこと、出張であれば長い1日の終わりに安らぐという、高い期待値を持って訪れます。到着してスタッフに迎えられる瞬間や、家族とともに楽しむディナーから、眠りにつくまで。そして朝起きて、美味しい朝食を食べて、出発時にスタッフに見送られるまで。従業員が一つ一つの体験を少しでも良くすることは、お客様の満足度に直接的につながります。
言うまでもなく、リッツ・カールトンでは「お客様の体験」への意識が非常に高いです。「リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間」にて、リッツ・カールトンの日本支社長・高野氏は、このように語ります。「眠りにつくときに、お客様に、『このホテルに来て良かったな』『明日はまたどんな感動があるのだろう』と思っていただけるようなサービスが提供できているだろうか。それが私たちの願いであり、お客様からの通信簿なのです。」
きっとこの記事を読んでいただいている皆様も、ホテルやレストランでスタッフから心の行き届いた、素晴らしいサービスを受けて「ぜひまた訪れたい!」「このサービスパーソンにまた会いたい!」と感じた経験があるはずです。
一方で、サービスパーソンに粗末な対応をされ「こんなところに、二度と来るものか!」と思ったこともあるはずです。さらにネガティブな例を挙げますと、ここ数年話題になっていたのが、飲食店などのアルバイトによる不適切なSNS投稿です。企業が代理となり、謝罪をしなければいけないケースもありましたね。ブランドは、例えほとんどの人が正しい行動をとっているとしても、一部の不適切な行動によってイメージが急激に落ちてしまうリスクも伴うものなのです。
サービス業において、パートタイムも含め、従業員はポジションに関わらず、そのブランドを代表する存在です。一人ひとりが、どのような行動をとり、どのような言葉を発するかには、細心の注意が必要です。
2:行動することを前提として作られた「ゴールド・スタンダード」
「ゴールド・スタンダード」を読み込んでみると、リッツ・カールトンはBEHAVIOR IDENTITY=行動の大切さを深く理解した上で、自社の理念を作っていることがわかります。
*出展:https://www.ritz-carlton.co.jp/profile/goldstandard/
2-1:存在価値を明文化する「クレド」と「モットー」
リッツ・カールトンでは以下のような、独自性の高いクレドとモットーを掲げています。
企業理念「ゴールドスタンダード」
ゴールドスタンダードはザ・リッツ・カールトンホテル カンパニー L.L.Cの根幹を成しています。当ホテルの価値観と理念が結集された「企業理念」であるゴールドスタンダードには次の項目があります。
《クレド》
リッツ・カールトンはお客様への心のこもったおもてなしと快適さを提供することをもっとも大切な使命とこころえています。
私たちは、お客様に心あたたまる、くつろいだ、そして洗練された雰囲気を常にお楽しみいただくために最高のパーソナル・サービスと施設を提供することをお約束します。
リッツ・カールトンでお客様が経験されるもの、それは感覚を満たすここちよさ、満ち足りた幸福感そしてお客様が言葉にされない願望やニーズをも先読みしておこたえするサービスの心です。
《モットー》
ザ・リッツ・カールトンホテルカンパニーL.L.C.では「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」をモットーとしています。この言葉には、すべてのスタッフが常に最高レベルのサービスを提供するという当ホテルの姿勢が表れています。
*リッツ・カールトン公式ホームページ「企業理念『ゴールドスタンダード』」より
以上から読み取りますと、「お客様への心のこもったおもてなしと快適さを提供すること」はリッツ・カールトンがお客様に価値を届け続けるために日々追求していること、すなわちリッツ・カールトンの使命といえるでしょう。そして「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」は、全従業員が大切にすべき心構えや人間としてのあり方、つまりクレドを理解する上での大前提なのでしょう。
これらの言葉を掲げた理由を、リッツ・カールトンの共同創業者のホルスト・シュルツ氏は著作”Excellence Wins”にて「自分たちは、サービス業界の陰で働く使い人ではなく、自分たちの力で、自分たちの存在価値を高めることができる」と語っています。
単に任された業務をこなすのではなく、サービスパーソンとしての誇りを持ち、自分たちがお客様に提供できる価値に自信を持っていることが感じ取れます。シュルツ自身が若いホテルマンだったときに先輩社員の行動をみて、自分もそのようなサービスパーソンになりたいと感じたため綴ったモットーで、現場で働いている時から、長らく大切にしていた信念だそうです。
以上はリッツ・カールトンの存在価値、リッツ・カールトンのスタッフのMIND IDENTITYの原点を表現しています。
*出展:https://www.pinterest.jp/pin/77194581095168769/
2-2:存在価値を行動に落とし込む「サービスの3ステップ」と「サービスバリューズ」
さらにリッツ・カールトンでは、以上の「モットー」と「クレド」を掲げるだけではなく、それらを具体的な行動に落とし込むために「サービスの3ステップ」「サービスバリューズ」へと落とし込んでいます。
《サービスの3ステップ》
- あたたかい、心からのごあいさつを。
- お客様をお名前でお呼びします。一人一人のお客様のニーズを先読みし、おこたえします。
- 感じのよいお見送りを。さようならのごあいさつは心をこめて。お客様のお名前をそえます。
《サービスバリューズ:私はリッツ・カールトンの一員であることを誇りに思います。》
- 私は、強い人間関係を築き、生涯のリッツ・カールトン・ゲストを獲得します。
- 私は、お客様の願望やニーズには、言葉にされるものも、されないものも、常におこたえします。
- 私には、ユニークな、思い出に残る、パーソナルな経験をお客様にもたらすため、エンパワーメントが与えられています。
- 私は、「成功への要因」を達成し、ザ・リッツ・カールトン・ミスティークを作るという自分の役割を理解します。
- 私は、お客様のザ・リッツ・カールトンでの経験にイノベーション(革新)をもたらし、よりよいものにする機会を常に求めます。
- 私は、お客様の問題を自分のものとして受け止め、直ちに解決します。
- 私は、お客様や従業員同士のニーズを満たすよう、チームワークとラテラル・サービスを実践する職場環境を築きます。
- 私には、絶えず学び、成長する機会があります。
- 私は、自分に関係する仕事のプランニングに参画します。
- 私は、自分のプロフェッショナルな身だしなみ、言葉づかい、ふるまいに誇りを持ちます。
- 私は、お客様、職場の仲間、そして会社の機密情報および資産について、プライバシーとセキュリティを守ります。
- 私には、妥協のない清潔さを保ち、安全で事故のない環境を築く責任があります。
*リッツ・カールトン公式ホームページ「企業理念『ゴールドスタンダード』」より
私たちが数多くの企業の理念を見てきた中で、リッツ・カールトンの「サービスの3ステップ」「サービスバリューズ」は行動への落とし込みがかなり細分化されているのが特徴ですね。
企業としてのフィロソフィーを開示するだけではなく、日常的に何を意識し、どのような行動をとるべきか?ということまでクリアに提示されているため、入社したばかりの従業員でも、自身に何が求められているか、自分がどのように評価されるかが明確に分かります。
リッツ・カールトンで働いていない私たちも、「サービスの3ステップ」「サービスバリューズ」の一つ一つの項目を読むと、シーンやイメージが湧いてきますよね。特に40,000人規模という巨大な会社ですと、従業員に求めることを暗黙知に残すのではなく、わかりやすく書き記すということがとても大切なのです。
3:社員に求められる「基本の徹底」と「価値の向上」
また「サービスの3ステップ」「サービスバリューズ」の中身を読むと、目的は大きく区分して「基本の徹底」と「価値の向上」に分けることができると思います。
*出展:https://www.ritzcarlton.com/jp/hotels/japan/tokyo/hotel-overview/recruitment-information
「基本の徹底」はお客様が当然のように求めることを、より確実に、クオリティ高く提供していくためにある言葉。
例えば、
・「サービスの3ステップ」に書かれた「ごあいさつ」「お名前でお呼びする」「感じの良いお見送り」
・「サービスバリューズ」の「私は、自分のプロフェッショナルな身だしなみ、言葉づかい、ふるまいに誇りを持ちます」や「私は、妥協のない清潔さを保ち、安全で事故のない環境を築く責任があります」
一方で「価値の向上」は、他のホテルと差別化し、「リッツ・カールトンらしさ」を言動で表していく意図で書かれているもの。「サービスバリューズ」の言葉で、このカテゴリに該当するものが多いです。
例えば、
・「私は、強い人間関係を築き、生涯のリッツ・カールトン・ゲストを獲得します。」
・「私は、ユニークな、思い出に残る、パーソナルな経験をお客様にもたらすため、エンパワーメントが与えられています。」
・「私は、『成功への要因』を達成し、ザ・リッツ・カールトン・ミスティークを作るという自分の役割を理解します。」
・「私は、お客様のザ・リッツ・カールトンでの経験にイノベーション(革新)をもたらし、よりよいものにする機会を常に求めます。」
・「私は、自分に関係する仕事のプランニングに参画します。」
これらの言葉から見えてくるのは、リッツ・カールトンでは「軒並みの接客」では全く通用しないということ。「クオリティの高い接客」でも正解ではありません。一人ひとりがリッツ・カールトンを代表し、お客様の期待を超えた特別な体験をお届けすること、そしてその結果お客様の記憶に刻まれるように努力することが求められているのです。さらには経営視点を持ち、リッツ・カールトンの進化に貢献することが仕事の一部として要求されています。
以上に関しての具体例を挙げますと、リッツ・カールトンを訪れたときに、常にサービスパーソンに名前で呼ばれるということが有名です。さらには結婚記念日や誕生日をリッツ・カールトンで迎えると、対面するスタッフ全員がそのことを口に出して祝ってくださる。また、自分が好きなブランドの水がベッドサイドテーブルに置いてある、なんということもあります。まるで魔法のような顧客体験ですが、これは全てリッツ・カールトンのスタッフがお客様一人ひとりの言動から個人的なディテールを読み取り、おもてなしに落とし込んだ結果です。「パーソナルな経験」ですし、「ザ・リッツ・カールトン・ミスティーク」を多いに感じ取ることができます。
このような期待値を聞いて、「プレッシャーが大きい」「面倒くさい」と感じてしまうサービスパーソンは、おそらくリッツ・カールトンのカルチャーとフィットしないのでしょう。そういう方々は、自分の価値観にフィットしたホテルブランドで働くことを選ぶはずです。一方で、自らお客様に素晴らしい体験をして差し上げたい、組織にイノベーションを起こしたいと感じるサービスパーソンにとっては、ぴったりな環境だと思います。これらの言葉はリッツ・カールトンの文化を明確にするとともに、社員への期待値を設定し、「誰がリッツ・カールトンのサービスパーソンなのか?」と人材にふるいをかける役割も担っているのかもしれません。
4:「ゴールド・スタンダード」を「行動」に移すための仕組み
冒頭でお伝えした通り、クレドを言語化するのみでは社員はなかなか行動に移せません。リッツ・カールトンでは、どのような仕組みを導入してスタッフのクレド実行に向けたモチベーションの醸成をしているのでしょうか?
4-1:会社と社員の信頼関係を生み出すリスペクト文化
自社の考え方を浸透するにおいて大前提となるのは、お互いを尊重し、リスペクトし合う文化だと考えます。
リッツ・カールトンでは、リスペクトの姿勢がトップから見えてきます。 “Excellence Wins”にてシュルツは、「社員一人ひとりの“プロフェッショナルとして成長したい”という想いを信じている」と語ります。すべてのスタッフを「従業員」ではなく「人間」として尊重し、一人ひとりが常に自己研磨を続ける向上心があるという信頼関係を前提に、自社の価値観をインプットしているのです。
また、理念の一部としてリッツ・カールトンは「従業員との約束」というものも掲げています。
《従業員との約束》
リッツ・カールトンではお客様へお約束したサービスを提供する上で、紳士・淑女こそがもっとも大切な資源です。 信頼、誠実、尊敬、高潔、決意を原則とし、私たちは、個人と会社のためになるよう持てる才能を育成し、最大限に伸ばします。 多様性を尊重し、充実した生活を深め、個人のこころざしを実現し、リッツ・カールトン・ミスティークを高める…リッツ・カールトンは、このような職場環境をはぐくみます。
*リッツ・カールトン公式ホームページ「企業理念『ゴールドスタンダード』」より
自分たちの仕事において社員が欠かせないこと、一人ひとりを尊重していることが、言葉から伝わってきますね。
このような約束を会社からされると、社員も自然とモチベートされるはずです。会社から命令を受けて社員が行動するという一方通行のコミュニケーションではなく、会社と社員が相互関係となっていることがわかります。人間としてお互いを尊重しているという土台があるからこそ、社員もリッツ・カールトンの高い水準に応えようと努力するのではないでしょうか。
*出展:https://www.facebook.com/ritzcarltonkyoto
4-2:「ゴールド・スタンダード」を日常的に、繰り返しインプット
そしてリッツ・カールトンの「ゴールド・スタンダード」は、ただ執務室の壁に貼られていたり、ホームページに掲載されていたりするのではなく、繰り返し社員の頭に入るような仕組みが確立されています。
・入社後のオリエンテーションでは必ず「ゴールド・スタンダード」の中身を徹底的に説明し、社員への期待を明確にする。
・スタッフ一人一人が「ゴールド・スタンダード」が印刷されたカードを胸元にしまっている。行動に迷ったときに、必ず見返せるようにしている。
・毎シフトの始まりに、「ゴールド・スタンダード」の読み合わせを行っている。
出典:Schulze, Horst.,『Excellence Wins.』,Zondervan
他社の経営者などから見て、以上のような繰り返しのインプットは過剰だとシュルツが言われたこともあるそうですが、理念は一回聞いたのみでは浸透しないと、シュルツは深く理解しているようです。「インプットする時間をたっぷり取る方が、アウトプットされないことを直していくよりよっぽど時間がかからない」と著作でも語ります。
私たちのお客様でも、このようなインプットの徹底をされている会社の方が成功していることが見られます。少し古く感じる方もいるかもしれませんが、例えば行動指針を朝礼で読み上げる。行動指針を使って、社員と上司がコミュニケーションをとる。理念をどれだけ日常化できるかが、浸透の成功に繋がってくるのです。
4-3:「ゴールド・スタンダード」に沿って褒めて、成長を促す
またリッツ・カールトンでは、「ゴールド・スタンダード」をインプットするだけではなく、体現したくなる仕組みづくりも徹底されています。
・リッツ・カールトンでは、新入社員の感性の高さや向上心などを見極め、それを伸ばしていく職場環境を全社的に整えています。二十代前半から三十代前半までの、従業員の感性が一番鋭い勝負時に、創造性を発揮させる機会(例:セクションの枠を超えた問題解決サークル、企画商品の社内コンペ、社会福祉活動など)をどんどん生み出し、挑戦させています。
・スタッフがお客様のために、決済を通さずに自由に使える$2,000が与えられています。$2,000は高額すぎると考える方が多いかもしれませんが、シュルツ曰く、平均的なビジネストラベラーは宿泊に一生涯で$100,000使うとのこと。その方に感動体験を与えて、繰り返しリッツ・カールトンを選んでいただけるのであれば、$2,000なんて安いという考えです。
・マネージャーはミーティング時に、素晴らしい行動を社員からヒアリングし、その場で褒めています。また“Lightning Strikes”という制度があり、素晴らしい行動をとった従業員に$50が即座に振り込まれる仕組みがあります。
・また、マネージャーは常に「あなたはゴールド・スタンダードのこの部分について、メンバーにどのように話していますか?」という質問を上級マネージャーからされるそうです。自分自身が常にクレドと向き合い探求を進め、自分の言葉で話せるようにしておくことが、マネージメント層の成長にもつながっているのです。
・社員が「ゴールド・スタンダード」についてオープンに議論し、フィードバックする場が設けられています。そのため、「ゴールド・スタンダード」はただ自分たちに言い渡されたものではなく、所有感を持ち、改善していくチャンスをつくっています。
出典:Schulze, Horst.,『Excellence Wins.』,Zondervan
出典:高野登,『 リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間 (Japanese Edition)』,かんき出版
以上から、「ゴールド・スタンダード」はただ社員に言い渡されている言葉ではなく、意図的に仕組みに落とされていることがわかります。「ゴールド・スタンダード」を行動に移すことによって社員は褒められ、評価され、成長していくのです。この一連の流れに納得感を感じた社員は、次なる行動を考え、また褒められ、サービスパーソンとしてさらに成長していくという自然なサイクルが生まれていきます。
「ゴールド・スタンダード」は、社員のモチベーションを向上させながら、リッツ・カールトン全体の価値を高めていくことを実現しているのです。
4-4:自由に発想し、行動することを求める
以上の通り、リッツ・カールトンでは社員が自分で発想して行動をする社風があることがわかりますが、それを後押しするのは、サービスのルールに厳しく則ることよりも、お客様に快適で楽しい時間を過ごしていただくことを最優先していること。すなわち、大目的を果たしていれば、社員は自由に言葉や行動を選んでいいのです。
そのスタンスがよくわかるエピソードが、高野氏の書籍「リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間」に書かれています。
小さなお子さんがいる家族連れのお客様が、ルームサービスで朝食をとられました。ルームサービスのウエイターが食事の準備を始めると、お子さんが珍しそうにウエイターを見ています。どうやら皿やグラスを並べる無駄のないプロの動きに興味津々の様子です。
そんなとき、リッツ・カールトンのウエイターなら、お子さんにこう声をかけるかもしれません。「お嬢ちゃん、良かったらお兄さんのお手伝いをしてくれないかな?」制服を着た大人から頼まれると、自分も大人になった気分になるのかもしれません。たいていのお子さんは嬉々として手伝ってくれます。その様子を見ていたご両親も、「あら、家ではちっとも手伝ってくれないのに、どうしちゃったのかしら?」などと言いながら、にこやかにわが子の奮闘振りを見守ってくれます。
*出展:高野登,『 リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間 (Japanese Edition)』,かんき出版
一般的なサービスパーソンでしたら、お客様に手伝わせるなんてプロとして失格だと思うかもしれません。しかしこのウェイターは、「プロとしてのルール」より「いかにご家族が楽しく朝食をとれるか」を優先したのです。その結果、ご家族にとって印象に残る、豊かなひとときが生まれたことでしょう。
ルールは、あくまでも大目的を果たすためにあること。もし「お客様への心のこもったおもてなしと快適さを提供すること」を実現するためにもっといい解決方法があるのであれば、社員一人ひとりが自由に発想し、行動をとる権利が与えられているのです。その自由から、イノベーションや感動体験が生まれるのだと考えます。
5:「ゴールド・スダンダード」から生まれたお客様の感動体験
以上の取り組みの結果、リッツ・カールトンの従業員が自主的にアクションを起こすような文化がリッツ・カールトンに根づきました。
5-1:組織内で語り継がれる、スタッフの素晴らしい行動
シュルツ氏曰く、社内で以下のようなストーリーが語り継がれているようです。
【ストーリーその1】
ゲストがパソコンをホテルのお部屋に忘れてしまったとき。パソコンを見つけたメアリーという清掃係は、夜間便で届けるのでは間に合わないと感じ、自らそのパソコンを持ってアトランタからハワイまで飛行機で飛び、お客様が国際カンファレンスであげるスピーチの直前に、お届けした。ホノルルで一休みをとることなく、次のフライトですぐにアトランタに帰ってきた。
【ストーリーその2】
新婚旅行でメキシコのカンクンにきたカップル。夫が指輪をビーチでなくしてしまい、スタッフで一度探したが見つけられなかった。カップルが落ち込んでいるのを見て、スタッフが$2000で金属検知器を購入し、夜な夜な結婚指輪を探した。その結果、朝までに指輪を見つけて、お客様にお返しすることができた。お客様は想像の通りかなり喜ばれて、感動のあまりメディアにもその話をした。
*出展:Schulze, Horst.,『Excellence Wins.』,Zondervan
また高野氏が語る、あるニューヨークのスタッフの逸話も印象的です。
私に[“六インチの差”]を教えてくれたのは、リッツ・カールトン・ニューヨークのバーテンダー、ノーマンのおもてなしでした。
彼のスタイルはとてもユニークでフレンドリー。カクテルやロング・ドリンクを作り終えると、「どうだい、スティーブ、あんたのために最高のマティーニを作ったぜ!」「ジェーン、見てごらん、このアレクサンダーの出来を…」などと言いながら、お客様の前にグラスを置きます。
そしてノーマンはそのドリンクをさらに六インチ、お客様のほうに、すぅっとずらして進めながら、満面の笑を浮かべて一言、「エンジョイ!」と声をかけるのです。
*出展:高野登,『 リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間 (Japanese Edition)』,かんき出版
お客様をお名前でお呼びすることに加え、相手を特別だと思っていることが滲み出る、その人のための言葉をかける。そして最後に六インチ前にグラスを移動するのも、愛情を感じる行動ですよね。以上のシーンから、お客様がすぐにノーマンのファンになることがわかります。自分自身も「ニューヨークに行って、この方のホスピタリティを受けたい!」と思いました。
出会う一人ひとりの印象に残るノーマンは、きっとリッツ・カールトン・ニューヨークのブランドの大切な一部です。バーを訪れる一人ひとりの期待を超えていくノーマンは、まさにサービスパーソンのロールモデルだと感じました。
5-2:お客様の記憶に残りつづけるストーリー
その他、ネット上で調べると、様々なお客様のパーソナルストーリーを見つけることができます。
私が探してみた中で、お気に入りのものをご紹介します。アメリカ・フロリダ州のリッツ・カールトンに宿泊したクリス・ハーンさんは、ハフィントン・ポストにて以下のような感動体験について書き記しています。
家族とアメリア・アイランドのリッツ・カールトンに泊まった後の話。家に帰宅したところ、息子が大好きなキリンのぬいぐるみの「ジョーシー」を何処かに置いてきてしまったことに気づきました。毎日ジョーシーを抱きしめて寝ているので、息子がとても不安がりました。そこで僕は「ジョーシーはきっと大丈夫。ちょっと長めのバカンスを楽しんでいるだけだよ」と伝えたところ、息子はなんとか安心して眠りにつきました。
その夜、宿泊したリッツ・カールトンから電話があり、ジョーシーが洗濯室で見つかったとの報告を受けました。非常に安心しました。そして、僕は息子にちょっとした嘘を伝えてしまったことを打ち明け、「長めのバカンスを楽しんでいるジョーシーの写真を送ってくれないか?」と無理を承知の上でお願いしました。しかし、スタッフの皆様はすぐに同意してくれました。
その数日後、郵送でぬいぐるみのジョーシー、リッツ・カールトンブランドのフリズビーやボールに加えて、ジョーシーがリッツ・カールトンで過ごした日々を綿密にドキュメントした写真のファイルが送られてきました。
もともとハーンさんがスタッフに相談をした、プール横で寛ぐジョーシー。
ホテルのスパでマッサージを受けるジョーシー。
セキュリティチームのお手伝いをするジョーシー。
セキュリティチームの一員になった証として送られてきた、IDバッジ。
*出典:https://www.huffpost.com/entry/stuffed-giraffe-shows-wha_b_1524038
皆様がこのようなサービスを受けたら、どのように感じますか?きっと感動し、このホテルにまた泊まりたい、と思うことでしょう。そして家族や友達にも、思わずリッツ・カールトンをお勧めしたくなりますよね。
以上のようなストーリーはお客様の中で長く記憶に残り、お客様から未来のお客様へと、どんどん広がっていく作用があります。さらにはお客様からメディアに広まり、その話題性によってリッツ・カールトンにそれまで興味を持たなかった方も関心を持つ機会を作った例もあります。感動体験は、自然と伝播されていくブランドの資産。その原理をよく理解して、リッツ・カールトンでは「ゴールド・スタンダード」が徹底されています。
さらに、このようにお客様に感動体験を届けた従業員も、きっと普段の仕事を指示通りに遂行しているよりも、断然モチベーションが高まっていることでしょう。自分たちのアイディアで、お客様を喜ばせる。それ以上にエンパワーメントされることはないと思います。
6: 最後に
シュルツの“Excellence Wins”を読んで個人的に印象に残ったのが、シュルツ氏のスタンスを表す、ニューヨークの労働組合と向き合ったときのお話でした。シュルツ氏がニューヨークのリッツ・カールトンの責任者を勤め始めた当初、労働組合のリーダーが毎週同じ時間に彼のオフィスに怒鳴り込み、マネジメント方法について細かい指摘をする、無茶な要望をするなど強いハラスメントを受けて相当苦労したようです。
しかしある日、労働組合のリーダーが約束の時間に現れなかったため、シュルツ氏が今度は労働組合を訪れ、リーダーが開催していたミーティングに入り「毎週この時間には、大事な従業員について話す時間を設けているのに、なぜ今日はオフィスに来なかったのですか?」と聞きにいきました。このエピソードを経て、彼がどれだけ真摯に自社の社員やお客様と向き合っているかが、組合リーダーの印象に強く残ったようです。そして、シュルツ氏が違う都市とホテルに移動した際は、移動先の都市の労働組合に「あいつはいい人物だ」と、経営側と対立関係にあるとも言える組合リーダーにも伝えたそうです。
*出展:https://www.stevegutzler.com/ritz-carlton-delivers-emotional-intelligence-exceptional-customer-service/
この話から感じたのは、シュルツ氏は「ゴールド・スタンダード」をただ社員に求めているだけではなく、自分も体現しているということ。すべての人を「紳士淑女」としてリスペクトし、相手の求めることが例え理不尽だとしても、「心のこもったおもてなし」でお返しする。その背中を見て社員自身も、どのように行動するべきか、自分たちに何が求められているのかを感じ取っているように思います。
トップが心から信じる思想を掲げ、社員にその目的を真摯に伝え、思想に則って行動した社員を褒める。その繰り返しが「感動体験」を生み出し、それらのストーリーが広まることで、ブランドの価値が向上していく。サービス業はもちろん、すべての企業が参考にすべき、理念の本質的なあり方だと感じました。
Schulze, Horst.,『Excellence Wins.』,Zondervan
高野登,『 リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間 (Japanese Edition)』,かんき出版
長年リッツカールトンホテルが好きでした。
サービスが素晴らしいと思っていました。
一番よく利用するのは大阪です。
最近サービスの酷さに嫌な思いをすることが多すぎます。沖縄、大阪です。以前には考えられないほど酷く嫌な思いを度々しました。
普通の企業としてもダメだと思います。
マリオットホンボイになってからクレドはかなぐり捨てた、のかと思っていました。
今でもクレドは捨ててないんですか?
ご返信遅くなってしまい申し訳ありません。
コメントありがとうございます。
ビジョンズメディア編集部です。
好きだったホテルのサービスが落ちるとショックですよね・・・
今でもクレドは捨ててないと思いますが
現場でそのクレドを中心に会話ができていなかったり
スタッフ同士でちゃんと価値観を共有できていない可能性はあるかもしれませんね。
私たちがお付き合いしてるホテルを運営されている企業様では
ホテルで出すオレンジジュースがいつの間にか
生のフレッシュオレンジジュースから、
既製品のオレンジジュースに変わってしまったのが残念だった。
というお客様の声で「これではいけない!」と目を覚まして
企業文化の立て直しを図ったお客様がいました。
心ある支配人さんであれば、
長年利用してくださっている顧客の声は、
何よりも貴重な意見であるはずです。
少しお手間かもしれませんが、
顧客の声として、一度ホテル側に伝えてみるのもいいかもしれませんね。
すいません。
いただいた質問に満足に答えられておらず、
少し脇道に外れてしまいましたが、貴重なご意見をいただけて、
改めてインナーブランディングの大切さを感じました。
このたびは、貴重なコメントありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。